自民党参議院議員で小泉内閣の時には農林水産政務次官を務めたこともある加治屋義人は高校球児として活躍し、甲子園出場という輝かしい経歴を持っています。 出身校は名門・鹿児島県玉龍高等学校。1956年の春の選抜高校野球大会に見事出場を果たしている。
玉龍高校は、鹿児島では鶴丸高校と並ぶ進学校としても有名ですが、かつては野球の強豪校として名を馳せており、春3回、夏4回の甲子園出場実績があります。 加治屋は1956年に同校史上初の甲子園出場メンバーで三塁手として活躍しました。 甲子園での戦績は、2回戦から登場し、県立岐阜商業高校と対戦。 惜しくも0-3のスコアで敗れてしまいました。
同僚で左腕エースだった五代友和投手は、後に立教大学・日本ビールで活躍しています。 加治屋の野球魂は今も健在で、2007年の参議院選挙で民主党議員と接戦になったときに、「9回裏攻撃」を合言葉に最後まで諦めずに戦い、僅差で逃げ切って当選を果たしたことは語り草になっています。